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万城目正
万城目正
文章/伊藤強
 万城目正は、明治38(1905)年1月31日、北海道中川郡幕別町に生まれた。この年は、日露戦争で、ソ連国の基地があった旅順が、日本軍の攻撃で落ち、基地のあった旅順城が開城した日である。そのことは歌にもなり、日本中がわきかえったという。つまり、日本が最も輝いていた時代だったといえる。
 北海道で旧制中学を卒業したあと、上京し、武蔵野音楽大学で音楽を学ぶ。そして札幌のキャバレーなどで仕事をしたあと、再び上京し、松竹に入り、数多くの映画音楽を作曲する。そのなかで最も有名で、万城目正の名を有名にしたのが霧島昇とミス・コロムビア(松原操)歌った「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」だった。この映画は、昭和13年に作られているから、主題歌を作った万城目33歳の時の作品である。映画は上原謙と田中絹代の両人気スターで、主題歌ともども、人気の要因とされた。万城目は、松竹にデスクを置き、全盛時には、年間10本以上の映画音楽を手がけ、主題歌を作り、スターを育てた。
 戦後すぐの昭和20年秋には、戦後検閲第1号となる映画「そよかぜ」の音楽を担当し、並木路子のために「リンゴの唄」を作り、この歌は戦後最初の大ヒット作となり、並木路子もスターにした。そしてなんと言っても、美空ひばりのために書いた一連の作品は、まさに戦後の歌謡シーンを彩るものと言っていい。とくに、初期に書いた「悲しき口笛」「東京キッド」「越後獅子の唄」などのヒット曲は、ひばりそのもののイメージを確立するために、貴重な作品だと言える。
 そのあと、デビューに関わったのは、昭和30年3月にレコードが出た島倉千代子である。第5回のコロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、17歳で「この世の花」でデビューを果たした。そのレッスンを受け持ったのが万城目正であった。つまり、万城目は、美空ひばり、島倉千代子という、日本の戦後を彩る2人の女性歌手のデビューを支え、曲づくりにも力を発揮したのだった。島倉は、第5回のコロムビア全国コンクールの優勝者だが、万城目は、そのとき初めてそのコンクールの審査委員になった。そして島倉を発見したのである。「太鼓の壊れたような声」というのが、万城目の、島倉の声への印象だったという。当然、デビューにあたっては、万城目がレッスンをする。
 自分が憧れている美空ひばりの曲を、いくつも書いたという「怖い先生」であり、同時に「とても優しい先生」だった万城目は、松竹大船撮影所で、映画の仕事が終わってからレッスンを付けた。そのときも「コンクールのときと同じように、太鼓が壊れたように歌いなさい」とだけ指示したという。柔らかいが、迫力に満ちた島倉の声を万城目は発見していたのだ。
 昭和32年、大船の松竹撮影所の近くに「万城目正歌謡音楽院」が開校する。すでに著名な作曲家として名をなしていた万城目は、自分が教えるだけでなく、4人の助教を置き、近くにそのような学校もなかったこともあって、隆盛だった。万城目にとって、最も輝いていた時代だったろう。
 そんな多忙な時間を過ごしながら、年に2回ほどは、家族と共に熱海などに旅行を楽しんだという。酒が好きで、ひとりで、ちびりちびりと飲む酒だったという。たしかに性温厚で、その通りの酒だったという。同時に野球が好きで、撮影所のスタッフといっしょに野球を楽しんだことも多かったという。笑顔がとても素敵な作曲家だったという。昭和43(1968)年没。墓は仙台の龍雲寺院にある。戒名は天徳院竹渓弦響居士。
伊藤強 
音楽評論家。東北大学文学部を卒業後「週間読書人」入社。昭和34年に報知新聞社に移り、文化部で映画、音楽を担当。昭和45年よりフリーの音楽評論家として大衆音楽・芸能の文化研究を専門に活躍中
http://www.a8k.jp/ito/

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