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遠藤 実
遠藤 実
文章/伊藤強
 遠藤実は、昭和7年7月6日、東京・墨田区で生まれる。戦時中、両親の故郷である新潟に帰る。だから、一般的には新潟出身と信じられている。両親は生活が苦しく、国民学校高等科を卒業したあと、農家の作男、ワカメの行商、タイル工、鉄くずトラックの上乗りなど、数多くの職業を遍歴する。そして昭和24年11月、荻窪北口駅前で、流しを始める。その当時、定食屋に勤めていた節子さんと知り合い、二人は結婚する。 それからほぼ10年、流しの時に知り合った作詞家・松村又一氏の紹介で、マーキュリー・レコードに縁がつき、レコードも出るようになる。最初の作品は「星の囁く小径」などである。それでも流しの仕事は続けていた。そして作曲は、完全に独学である。そのころ買った9000円のオルガンは、作曲家・遠藤実の原点といえる。昭和27年、マーキュリー・レコードと専属契約を結ぶ。そして昭和32年、「お月さん今晩わ」が出る。遠藤実はじめてのヒット曲となる。そして、33年、コロムビアに招かれて、専属契約を結び、同年、島倉千代子の「からたち日記」で、コロムビアでの初ヒットを出す。この時はまだマーキュリーとの契約が残っていたため、作曲者の名前は米田信一という名前になっている。このヒットの功績は、作曲の遠藤の才能だったと、作詞の西沢爽は書いている。この作品は遠藤にとって最初のコロムビア作品であり、作詞が大御所の西沢爽だったこともあって、ひどく緊張し、かなり悩んだと、遠藤自身も書き残している。島倉はすでにスターであり、当時25歳の遠藤は、この作品のヒットによって、コロムビアでの地位は、確固たるものになったといえる。
 コロムビアで、遠藤が作曲した歌手は数多い。美空ひばり、こまどり姉妹、村田英雄、神戸一郎、小林旭、井上ひろし、五月みどり、都はるみ、北原謙二、舟木一夫、森昌子ほか。
 昭和40年、やはり流しの時代に知り合った太平住宅の経営者とともに、新しいレコード会社ミノルフォン・レコードを起こし、専務取締役に就任、そして43年には代表取締役社長となる。だが、45年同社を退社し、フリーの作曲家としての活躍を始める。ミノルフォンでは、三船和子、千昌夫を育て、とくに千昌夫の歌った「北国の春」は、日本だけでなく、中国をはじめアジアでの大きなヒットとなり、とくに中国では、この作品を、中国の歌だと信じている人たちが多数いるといわれるほどのヒットとなっている。
 作曲家として、遠藤はかなり感情移入の強い人で、弱い女性の曲を書くときは、遠藤自身がなよなよとした風情になるし。男らしい男を主人公にした歌を書いている時は、猛々しい雰囲気になるという。その感情移入の強さが、遠藤の作風だといっていいだろう。そこから、説得力のあるメロディが生まれるのだろう。これまにで出した曲数は、5000曲と言われ、圧倒的な存在感をしめす。
 平成6年、財団法人・遠藤実歌謡振興財団を設立し、理事長となる。そして同年、故郷の新潟市記念館・実唱館を開館させる。平成12年には、作曲生活50周年を記念するコンサートを、両国国技館で開催、平成17年に、日本作曲家協会会長に就任する。これは古賀政男、服部良一、吉田正、船村徹につぐ5代目で、名実ともに、日本の作曲家の頂点に立ったことになる。著書も数多く、自伝「涙の川を渉るとき」などのほか、自身の信仰に基づく「般若心経の生き方」などがある。昭和50年に「紺綬褒章」を受けたほか、平成2年には「紫綬褒章」を受け、平成14年には「勲三等旭日中綬章」を受章している。平成15年には「文化功労賞」に顕彰される。


スタッフより
遠藤実先生は平成20年12月6日に永眠されました。
この原稿は先生がお亡くなりになる前に書かれたものです。
数々の楽曲で大衆音楽発展に尽くされた先生の功績を讃え、
政府より、逝去の12月6日付で正四位、旭日重光章が贈賞されました。
さらに四十九日にあたる平成21年1月23日には、国民栄誉賞が授与されました。

伊藤強 
音楽評論家。東北大学文学部を卒業後「週間読書人」入社。昭和34年に報知新聞社に移り、文化部で映画、音楽を担当。昭和45年よりフリーの音楽評論家として大衆音楽・芸能の文化研究を専門に活躍中
http://www.a8k.jp/ito/

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